FC2ブログ

Weekend In 心は L.A.

音楽と楽器、そして時々海外に

 

Feeling Now(1974)、Paper Moon(1976)、Rainbow(1977)、Crystal City(1977) By 大橋純子 20世紀最高の日本女性ボーカリスト

大橋純子
左上から時計回りで、Feeling Now、Paper Moon、Rainbow、Crystal City

1990年代以降、洋楽コンプレックスの無い世代が活動を始める以前、歌謡曲と呼ばれたボーカル音楽しかなかった時代を終わらせたのは大橋純子だったでしょう。
20世紀の日本で最高の女性ボーカリストだと信じています。

大橋純子との出会いは今でも覚えています。
多分、1977年の東京音楽祭だと思う。TVでその模様を中継していて、最後のアンコール曲で女性ボーカル4人がフロントに並び、1コーラスずつ歌っていく場面。3番目の大橋純子が歌い始めた瞬間、なんだこのボーカルは!と寝転がって聞いていた自分は思わず正座してしまった。他のボーカルとは全然比較にならなかった程のインパクトでした。

次の出会いは大学の学園祭。
高校生まで日本の音楽にはほとんど興味も無く洋楽一辺倒だった自分。学園祭で、同じサークルのバンドを聞いていると、かっこいいフュージョンぽいサウンドなのにボーカルは日本語。誰かのコピーを演奏していることはわかったが、今まで聞いたことのないサウンド。そのステージ終了直後にそのバンドのギターに聞くと、大橋純子のコピーだよと。

大橋純子は、ドラマの主題歌にもなった「たそがれマイ・ラブ」(1978)が最大のヒットとなったのですが、この曲がレパートリーの中でも一番の歌謡曲調の曲なので、良く知らない人からは、上手な歌謡曲畑の歌手と認識されていることが多かったのでは。大橋純子も、このヒット以降、この曲ばかり歌わされて嫌気がさしたといっているので、大きな違和感があったのでしょう。
彼女の魅力は、小柄な体格にそぐわない爆発的な声量とソウルフルな声質(と洋楽育ちのリズム感)なのですが、所属レーベルからは、商業歌曲で人気のある(ありきたりな)バラードにうってつけとみなされてしまい、これ以降、徐々に同様の曲調が増えてくる。当時急速に日本に入ってきたフュージョンタッチのバンドサウンドも、TV市場(歌謡曲市場)では、16Beatは大衆は聞き難いだろうというレーベルの方針で、徐々に歌謡曲風サウンドでやらされることが増え、ライブやアルバム作りで相当の葛藤がメンバーにあったとのこと。

メジャーレーベルに所属して会社の方針でLPを作る時代でなく、今のようにライブやYou Tubeで自分の好きなサウンドを発信できる時代だったら、彼女は真のポピュラー女性ボーカリストとして歴史に残ったと思うのですが‥‥

ということで、彼女が日本のポピュラー音楽に影響を与えた真の評価は「たそがれマイ・ラブ」以前の初期の4枚のアルバムであり、バンドサウンドとして一番刺激的で面白かったのは「美乃家セントラル・ステイション」に土屋昌巳がGt.として在籍していたRainbow(1977)とCrystal City(1977)の2枚だと確信しています。
ということで、初期の貴重な4枚をご紹介。


謹賀新年 平成30年

◆Feeling Now(1974)
レコード会社のオーディションで評価され、1stアルバムを発表。邦楽音楽界は、まだ歌謡曲専門の作曲家と編曲者が幅をきかせていた時代だったので、歌謡曲っぽくないアルバムにしようということで、最終的に12曲中8曲が洋楽のカバーという急造のアルバム。ただ今聞いてみると、原曲のよさはこれらカバー曲が際立っていて、意外なほどソウルフルな彼女のボーカルの実力が一番良くわかるのは実はこのアルバムかも。

PickUp) HE AIN'T HEVY....HE'S MY BROTHER バックのサウンドはまだ歌謡曲チックですが、既に彼女のソウルフルで黒っぽいボーカルスタイルの片鱗を聞くことができます。彼女も気に入った曲だったらしく、その後スタジオライブで頻繁に取り上げています。

◆Paper Moon(1976)
制作費がとれるようになったのか、著名作曲家とスタジオミュージシャン(といっても、村上ポンタ、岡沢章、杉本喜代志、深町純等の、今となっては誰でも知っている大御所。)を起用した2nd。表題曲等の佳曲が入っているのだが、世の中にまだ名前が知られず、水面下で頑張っていた最後のアルバム。

PickUp) Paper Moon ポンタと岡沢章のリズムと松木恒秀の16Beatカッティング。これに乗った大橋純子のボーカルは、洋楽一辺倒の楽器野郎にショックを与えました。その後、第1期美乃家セントラル・ステイションでの演奏がYouTubeに沢山アップされているので、聞き比べてみると興味深いです。

◆Rainbow(1977)
東京音楽祭での活躍とSimple Loveのヒットで、一気にメジャーシーンに浮上。
リズムとギター、キーボードのインストを前面に出した洋楽サウンドが、時代にマッチしライブで高い評価を得たことから、アマチュア時代の夢であった自分のバンドで活動することを決意。演奏、アレンジの中心であった佐藤健が中心となって若手メンバーを集め「美乃家セントラル・ステイション」結成。
(なお、佐藤 健(key)とはその後、結婚し今に至る。)
一番、青臭く刺激的な第1期メンバーは以下のとおり。
佐藤健(key)、見砂和照(ds)、土屋昌巳(g)、高杉登(per)、福田郁次郎(b)

PickUp) Simple Love 持ち味の声量を最大限いかしたボーカルはもちろん、バックのサウンドが1st,2ndと全然違う、いわゆるバンドサウンドになっています。同時期のスタジオライブを聞くとよりはっきり感じられます。

間違いなく、1977年第1期メンバーによる Simple Love (Studio Live)

◆Crystal City(1977)
福田郁次郎(b)がメンバーチェンジするも、バンドとして油の乗り切った状態で4thを発表。City Popsとしての一つの完成形がこのアルバムでしょう。歌謡曲でもロックでもない日本のポップスが完成。
今では考えられないでしょうが、当時、私の周りでは、ブレッカーブラザーズをやっているバンドがボーカルを入れて大橋純子を演奏したりとか、まったく違和感なくやられてました。

PickUp) Funky Little Queenie この時期の土屋昌巳(g)はファンクに傾倒していたようで、彼の作曲したこの曲を聞くと一聴瞭然。アメリカンソウルを彷彿とさせるオルガンが出色の出来。その曲調がソウルフルな大橋純子とマッチして、邦楽でも洋楽でもない魅力的な曲に仕上がってます。

4th発表の後、土屋昌巳(g)が抜ける一方「たそがれマイ・ラブ」が大ヒットする等でサウンドも微妙に変化し、そこからは彼女の第3ステージともいえる音楽活動が展開していきますが、とりあえずここで終了とします。
この時期の土屋昌巳(g)は、ストラトをコンプで徹底的につぶしたギターサウンドで、最初聴いた時、ずいぶん変わったサウンドだなと驚きましたが、ユニークなバンドサウンドのカラーになっていることは間違いありません。(例えば、曲Crystal Cityのギターパート。)

そのうち、彼女の曲を一つ取り上げてみるつもりです‥‥

Comments
 大橋純子
自分が意識して大橋純子を聴いたのは、ローディーライブコンサートで美乃家とスタジオライブ演奏した時で、カセットのラベルを見ると78年2月となっていますが、もうテープは聴けない状態です・・・。

その時の土屋のアドリブは、ボリューム奏法の「シンプル・ラブ」も見事だったし、美乃家が参加する前の作品「ペーパームーン」はレコードと全然違う弾きまくりでで、他の番組に出た際にインストで演奏した「キュプテンかとんぼ」は、「キャプテン・フィンガーズ」のパクリで、もろにフュージョンでした。

土屋はギター雑誌でもジェフ・ベック奏法の解説をしていたので、クロスオーバー路線のアルバムを出さないか期待していたら、一風堂を結成したり、ジャパンに参加して、待望のソロアルバムも自分の好みとは違いました。

大橋純子も歌手としてメジャーになるにつれ、売れ線、歌謡曲路線になったような気がして、テレビでもバンド演奏よりは、ニューブリードとかの伴奏で、だんだん聴かなくなってしまいました。

先日のブログ記事にありました八神純子のメルティングポットや、同じころにラジオで聴いた庄野真代もバックバンドを従えていて、クロスオーバーの洗礼を受けたバックバンドが席巻していたニューミュージックが懐かしいです。
 Re: 大橋純子
ギターマジシャンさん、コメントありがとうございます。

ギターマジシャンさんとは、まったくの同世代なので、
私が通ってきた道、感じたままの感想だと思います。
日本のロック(ポップス)ってダサいよなと言っていたのが、
ほんの2、3年位で、皆クロスオーバーサウンドになってしまったのは驚きできしたね。

土屋昌巳(g)は、ルックスも含めてイロモノギタリストと位置づけられて終わってしまったようですが、オリジナリティのあるギターサウンドと作曲、アレンジの才能は、もっと幅広く活躍できたはずと今でも思っています。
あの頃のサウンドがすべて忘れ去られるのはもったいないですね。
 好きでしたね彼女の曲
アルバム・タイトルは忘れましたが、確か”男と女のいる歩道”という曲の入ったアルバムが凄くしきでしたね。別の曲は題名は覚えていませんが・・・歌詞の中に「西口のビル街はまるでニューヨーク・・・」と歌っていた曲も好きでしたね。

美乃家の後のその次あたりのバンドでは、和田さんと云うキーボード兼サックスの方がバンマスでギターに関しては土谷(昌巳ではありません)がずっとレギュラーで弾いていましたね。

和田さんとはヤマハ関係のアーティストのバックをかなりの数ご一緒させて頂きました。その縁で和田さんが岩崎宏美さんのバンドに入る時に、私とひとみさんのバンドのドラマーに声がかかって参加しましたね。1年くらいでしたが。

大橋純子さんの歌は本当に上手いですよね・・・。・今聞いてもサウンドも歌も凄く良いですね。
 Re: 好きでしたね彼女の曲
”男と女のいる舗道”は「CRYSTAL CITY」に入っていました。
(新宿)西口のニューヨークは、多分マンハッタンだと思いますが、
このアルバムの表題曲「CRYSTAL CITY」ですね。
記事に書いたとおり、このアルバムは初期のピークだったと思います。
”CRYSTAL CITY”はもちろん、”男と女のいる舗道”もボサノバのとてもお洒落な曲でしたね。

美乃家は、1977年から1980年のわずか4年間しか存在しなかったのが
嘘のようですし、その後のバンドつながりにkamiyo.mさんがいたとは驚きです。
日本人にもこんな音楽が出来るのだと思いながら聞きあさっていたこの数年間は、
日本の音楽界にとって激動の転換期でしたが、
そんな時代にプロとして活躍されていたのは本当にうらやましいです。
 懐かしい…
こんにちは
時々拝見させていただいています。
昔よく行っていた喫茶店(今はカフェ?)のマスターのレコードコレクションの中に大橋純子や笠井紀美子などがあり、よくかけてもらいました。この店で彼女達を知ったようなものです。
1976年~1977年頃でしょうか。私もまだ20歳頃でしたね〜(^o^)
最初は「キャシーの噂」が耳に残りました。覚えやすいメロディだったし。「Paper Moon」の、確か『裏街のパブの名前』とかいう歌詞があって、当時本当に近くにその名前のパブがあったんです…^^;
ちょっと背伸びしたい年頃だった自分にとって、妙に懐かしい思い出です。
 はじめまして、ぐでトムラさん
コメントありがとうございます。

”喫茶店のマスターのコレクション”
というフレーズが、もういいですね。何かの歌詞にありそうです。
笠井紀美子のTokyo Special(1977)は、そのうちブログで書いてみようかな。
「キャシーの噂」もポップな曲で、少し影があって、いい曲でしたよね。
裏街のパブ、というパブがあったなんて、かっこいい‥‥

ほぼ同い年なので、なんだか大学時代のバンド友人と話しているような、
心がほっこりするコメントでした。
ポツポツと書いてますので、またお立ち寄り下さい。


Body
Since 2012.9.23
プロフィール

Author:AKISSH
.
休日は、You Tubeで好きな曲を見つけて
コピーしたり、カメラ片手に旅を。
世界中を歩いてみたいよ。
(このブログについて)
(5th Anniversary)(その1)
(5th Anniversary)(その2;音源編)
(5th Anniversary)(その3;音源編)

毎日の花の色と四季で風景が変わるブログパーツ
画面下を人々がお散歩
旅行お役立ちブログ
検索フォーム

123456789101112131415161718192021222324252627282930 11